marinライフ

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私が旅の最後に選んだ【養源院】揺らぎない忠誠心の三河武士!

いよいよ


京都旅行 最後の目的地。



私が選んだのは







【養源院】です。




養源院は

俵屋宗達さんの描いた絵と血天井で知られています。
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宗達さんの絵もすごいのですが



私が養源院を最後の目的地に選んだのは


やはり血天井


この血天井伏見城での戦の時についた
血の跡を天井にしています。

そこには徳川家の家臣
鳥居元忠の戦跡が今でもくっきり残されています。






ってだけでは終わらせませんよ!!!




鳥居元忠って

歴史の時間に聞いたことあるな〜

程度の方が多いと思うんです。



でもそれだけではもったいない!!!


鳥居元忠って方は

主君の徳川家康に忠義を尽くし

命をかけて家康の命に従った


男の中の男。
三河武士の鏡なんです!




少し長くなりますが


是非とも最後まで読んでいただきたいです。

徳川家康鳥居元忠の絆は涙なしでは語れませんよ.......







まず


鳥居元忠とは............



松平家の家臣をしていた

鳥居忠吉の3男として生まれます。


13歳の頃
3歳年下の松平竹千代(後の徳川家康)の近侍となり


その後
鳥居元忠死の瞬間まで
重臣として家康を支えます。



数々の戦で戦功を挙げますが


1572年の三方ヶ原の戦いで足をケガし片足が不自由になります。


足が不自由ながらも

引き続き戦功を挙げ


家康の中では
とても大きな存在になります。





しかし



1600年(慶長5年)



会津の上杉征伐の為
家康軍が東北へ挙兵します。


家康不在中
敵軍石田三成から伏見城を守る事を命じられたのが



鳥居元忠です。



しかし
この伏見城........




玉砕覚悟のおとりなのです。


それは家康も元忠もわかっていること。

それをわかって
命じて命じられていたのです。



家康が東北に挙兵する1ヶ月前


家康と元忠は
2人でお酒を飲んだそうです。


そこで家康が
「我は手勢不足のため
伏見に残す人数が少しで汝には苦労をかける」



と言うと
心中を察していた鳥居元忠

「そうは思いませぬ。天下の無事のためならば
自分と松平近正両人で事足りる。
将来、殿が天下を取るには一人でも多くの家臣が必要である。
もし変事があった時は城に火をかけ討死するほかない。
この城に多くを残すことは無駄である。
一人でも多くの家臣を城から連れて出てほしい」



と言ったのです。




そして別れ際


明朝早い家康を気遣い



「もしも変事があれば今生の別れとなりましょう」


と言い涙をこらえて立ち上がろうとしますが




三方ヶ原の戦いで片足を負傷していたことと
長時間座っていたことから


うまく立ち上がれません。


すると家康が



「手伝ってあげよ」


と小姓を呼びます。




すると小姓はビックリ。





家康がボロボロ泣いていたそうです。





約1ヶ月後の7月


伏見城を守る鳥居元忠
石田三成軍より城を明け渡すよう命じられますが



「私は主君、家康より伏見城を固く守れと命令を受けている。」と断固拒否。

降伏勧告の使者を斬殺して遺体を送り返します。



すぐに伏見城は包囲されます。








鳥居元忠はじめ
少ない勢力ではありますが

主君に仕える気持ちは誰よりも強く



少しでも敵の足を止めようと
奮闘する元忠たち。




多勢に無勢。すぐに落城すると思われていた伏見城


約10日間もちこたえました。



元忠から家康に送られた報告書の意訳がこちら




我々は命ある限り戦い、絶対に退きません。
1分1秒でも長く西軍を食い止め、彼らが関東へ攻め下るのを引き延ばします。

私の生涯はこの戦いで終わります。
しかし、どんな強大な敵がやってきたとしても、恐れはしません。

鳥居家中興譜より





そして8月1日元忠最期の刻





身分の低い者に殺される位なら自害して下さい

と声をかけられると



「この戦いは名誉のための戦いではない。
ただ、少しでも西軍を食い止めるための戦いなのだ。
身分の低い者に殺されても構わない。」


と最後まで奮闘する元忠。



甲賀衆により火を放たれた伏見城
天守閣にまで火の手がまわったころ


ひとり
奥へ奥へと消えた元忠。



薙刀を杖にして、石段によりかかっていたところ


伏見城一番乗りを果たした雑賀孫市の名でも知られる鈴木重朝が

「いざ、勝負!」と槍を構える。



すると元忠はゆっくりと立ち上がり、薙刀を構え

「我こそが伏見城司令官、鳥居彦右衛門元忠である。」

と言います。




まさか敵大将だとは思っていなかった雑賀はひざまずいたそうです。









鳥居元忠切腹。享年62。伏見城陥落。





最後の最後まで主君に仕えた三河武士。





元忠の死から約1ヶ月後


家康は関ヶ原の戦いで勝利。



3年後には征夷大将軍になります。





元忠の死なくして家康の勝利なし

と言われています。




元忠たちの遺骸は戦後処理が終わる2ヶ月間の間
放置されていたそうで


その時ついた血痕は
どうやっても落ちなかったとのこと。



その血のついた廊下の板を血天井として祀ったそうです。







私が見たのはその血天井なのです。






お寺の方が長い棒を持って説明してくれます。




ここは元忠の顔と言われています。

うつ伏せ、やや横向きに亡くなりました。ここはマゲの跡です。

これがくの字に曲がった元忠の足です。
元忠は片足が不自由だったので
片足をかばった様子が見受けられます。


そしてこれが元忠の刀で...........





と。

説明してもらうと
本当にくっきり見えます。





最後に


元忠の揺らぎない忠誠心エピソードを。






たくさんの戦功を挙げた元忠に家康は感状を与えようとします。
しかし元忠は


感状などは別の主君に仕えるときに役立つものであり、
家康しか主君を考えていない自分には無用なものである

と答えて受け取らなかったそうです。



そして秀吉からのお誘いも断り

生涯家康に仕えたそうです。






長くなってしまいましたが.......





歴史ってこういうとこがあるから
楽しいですよね。



歴史には諸説あって

後付けでしょ
って方もいますが


それでもいいです。
ただ、こういう男くさい秘話があっても
いいと思います。



興味のある方は行ってみて下さい〜





養源院
9:00〜16:00

拝観料 400円